インタビュー記事Vol.1

インタビュー記事Vol.1

第1回 家族の支えと医師への信頼で膀胱がんが消えた 宮田成子さん(仮名)

◆息子の膀胱がん死を乗り越えて

宮田さん(70歳)は、2014年6月の内視鏡手術の結果、「がんが消えている」事実に出会った。宮田さんの「がん物語」は、8年間の長きに亘る家族のがん闘病の物語だ。
それは2007年、建設会社に勤務するスポーツマンで、一児の父親であった二男(当時29歳)の膀胱がん(浸潤性)発症に始まる。膀胱全摘除術後、腸の一部を使い、尿管とつなげる回腸導管造設術を数回繰り返す。坐骨までがんは転移。麻酔が効かず強烈な痛みを伴う闘病であった。
姉の良子さんは「毎日往復4時間をかけて、弟の病室を訪ねました。1年半におよんだ闘病生活でした。

二番目の子どもを妊娠中の義妹への気遣い、治る見込みはないとの医師の断言。どうしても生き抜きたい弟の叫びに、耐え続けました。病室に入る前にはコンビニで買ったチョコレートを口に投げ込み、自分に気合を入れて、楽しいことを話そうと努力しました。出口なしで苦しんでいる弟の心の動揺に、私は精一杯付き合いました」と語る。
子どもたちに残す言葉をノートに書き留めておこうとの姉の発案に応じた弟は、「生まれたばかりの児なんだ、それしか見てないんだよ!それなのに6歳になったときのために残すパパの言葉なんて、僕にはリアリティがないんだ!」と、呻吟した。2008年3月に二女誕生、そして同年7月の弟の逝去であった。

◆免疫力を高めてがんに立ち向かう

重く悲しい二男の一周忌を迎えた2009年9月、宮田さんは血尿を認めた。即受診、膀胱がん(上皮内がん)ステージ3との診断。二男と同じ部位のがんではあるが、膀胱がんにも種類があり、二男の病と全く異なるものであることは、医師の説明や二男の闘病過程を見ていたのですぐに理解できた。そして同年10月、「全摘せず、部分麻酔で手術」という強い意志を持って内視鏡手術(経尿道的膀胱切除術)を選択した。
良子さんは「弟は大学病院に入院したので治療方法は選べず、緩和病棟に移転することも叶わなかった。無念だった。母には治療法の選択肢がありそうな国立系の病院での手術を勧めた。弟の闘病でがんについて様々に勉強・体験してきたので、母のがんは弟のがんとは違うがん、という認識があった」とのこと。

術後、BCG治療(※用語解説①参照)を2ケ月間(8回コース)受けるが、痛みの副作用があり中断。不快な日々が続く。二男に次いで母の闘病生活が始まった。宮田さんは「毎日がなんだか鬱陶しくって、落ち込む日々だった」と語る。本人・家族の日々は、「弟に続き母まで、がんになってしまった・・」と気重だった。
宮田さんは、術後の定期受診を欠かさず、その都度対処してきた。2014年6月まで都合4回の内視鏡手術を受けている。宮田さんは「手術は何度受けても慣れない、嫌なものですが、部分麻酔で手術の経過を自分で分かっている方が安心でした」と、気丈な方だ。
2012年、がん根治のために積極的な治療を行ってみたいと考え、知人の紹介を受けて高濃度ビタミンC点滴療法(※用語解説②参照)とビタミンC錠剤の投与を開始。往復約3時間かけて週2回(月8回)の治療を続けた。

自宅近くのクリニックでも治療を受けられるとアドバイスを受けたが、やはり信頼できるクリニックでと通い続けた。現在は、この治療で免疫力が高まってきたことから、がんが消えたと受け止めている。
「大丈夫、治りますよ」という医師への信頼が、心をゆっくりと穏やかにしてくれた。安心して治療に通えた。そして現在は週1回の通院治療となり、元気で生きていることが嬉しい日々となった。
良子さんも「数年前の母は、すっかり年老いて生気がなかったけれど、今はその若々しさにみんなが驚く。きっと弟が見守ってくれているからです」と笑顔。今年の春は、忘れ形見の孫・二女が小学校に入学した。
闘病は患者だけのことではない。本人の「がんを治す」という強い意志、家族や周囲の支え、信頼できる医師との出会いが闘病を支える。

※用語解説
①BCG治療
BCGは結核を予防するために接種するワクチンだが、膀胱内に上皮内がん等がある場合、治療あるいは再発予防として用いることがある。(浸潤性の膀胱がんには適さない)
②高濃度ビタミンC点滴療法
超大量のビタミンCの点滴は、がん細胞に対してだけ選択的に毒性として働くことを、2005年にアメリカ国立衛生研究所が発表した。強力な抗酸化作用を発揮してがんを破壊。副作用の心配もないとされているが、日本では保険適用外である。

(宮川記)